ベートーベン第九の意味は?合唱の由来と「歓喜の歌」の歌詞を和訳

年末の風物詩!? 「ベートーベン第九の合唱」には、
どんな意味由来があるんでしょう?


意味もわからず、
聴いたり歌ったりしている人も、意外と多いのでは!?

ベートーベン第九の意味は?合唱の由来と「歓喜の歌」の歌詞を和訳

ベートーベンの交響曲「第九番」は、
晩年の1824年に完成した、ベートーベン最後の交響曲です。

日本では「第九」と呼ばれて、
今では、年末の風物詩としても親しまれていますね♪ ^^;


ところで、このベートーベン第九の意味は?
合唱の「由来」「歌詞の和訳」も紹介します。


英語ならともかく、ドイツ語となればなおさら、
歌詞を見ても、全然「ピン」ときませんよねっ!?
(えっ!「英語でもピンとこない」って?)


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ベートーベンの交響曲「第九」の意味

ベートーベンの『交響曲第九番(第九交響曲)』♪

いわゆる「ベートーベンの第九」は、60分以上ある超大作で、
第一楽章から演奏していくと、約75分程度かかります。

「この演奏時間を基準に、CDの長さが決められた!」
という話は、あまりにも有名ですね。


この第九番の最大の特徴は、
交響曲に「合唱」を取り入れていることです。


そもそも、声楽と交響曲は交わらないものと長年考えられてきましたが、
ベートーベンの交響曲第九番によって、一般的な形に仕上げられました。



日本の場合、第九の演奏会自体がイベントになっているので、
合唱部分「歓喜の歌」のパートだけを編集したものを、
「第九」として演奏されている場合が多く、
第一楽章から通しで演奏される機会は、ほとんどない様です。

そのため、ベートーベンの第九は、
「歓喜の歌」を指すと、誤解している人も多いかもしれませんね d^^;

ちなみに、英語で「第九交響曲」は「Ninth Symphony」ですが、
「ベートーベンの第九交響曲」を意味する場合、
厳密には『Beethoven’s Ninth Symphony』という表現になります。

日本語で「ベートーベンの第九」という感じで使う場合は、
英語では『Beethoven’s Ninth』と表現します。

また、ベートーベンの交響曲であることが明確な時は、
『The Ninth』と表現することで、「第九」の意味を果たす場合もあります。


第九が日本で演奏される由来と意味



そもそも、この「第九」が、
なぜ、日本で演奏される様になったのでしょう!?



ベートーベンの第九が、日本で初めて演奏されたのは「1918年」のこと。

当時、第一世界大戦中の日本軍が捕虜としていた、
ドイツ人兵士、約5000人のうち 約1000人が、
現在の徳島県鳴門市に作られた「坂東俘虜収容所」で、終戦までを過ごしました。

この収容所の所長を務めた「松江豊寿」は、人道に則った扱いを行い、
現地の住民と、ドイツ人の間の交流を促進させたのです。

この時、ドイツ人捕虜によって結成されたオーケストラ(合唱団は80名)によって、
1918年6月1日に、日本で初めての「ベートーベンの第九」が演奏されました。

第九は、ソリストと合唱団に女声が必要となりますが、
俘虜は男ばかりなので、楽譜の該当部分を、
やむを得ず 男声用に書き換えるなど、苦労を重ねながら練習していました。


1918年(大正7年)6月1日の日本初演から64年後の、
昭和57年、この6月1日は鳴門市の「第九の日」となり、
第九を「縁」とする鳴門市や徳島の、内外との交流の出発点となりました!

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ベートーベンの第九「合唱」歌の歌詞

ベートーベンの「第九」といえば、
最初に思い浮かぶのが、合唱パート部分「歓喜の歌」ではないでしょうか。

第九の合唱パート部分は、
第一楽章から3分の2を過ぎたあたりの「第4楽章」で、
よく聞く「歓喜の歌」のパートは、この第4楽章のクライマックス部分です。

Freude, Schöner Götterfunken, Tochter aus Elysium,
Wir betreten feuertrunken, Himmlische, dein Heiligtum.


もちろん、日本でも、
「ドイツ語の歌詞」で歌われている場合がほとんどですね。

では、この「歓喜の歌」の歌詞は、
具体的にどんな内容で、どんな意味なんでしょう?


第4楽章 合唱「歓喜の歌」の歌詞の意味

ベートーベンは、交響曲第九番のフィナーレにおいて、
4人の独唱と合唱で、「歓喜の歌」を歌わせました。

実は、この「歓喜の歌」で歌われている歌詞は、
すべての歌詞を、ベートーベンが作詞した訳ではありません。

ベートーベンの第九第4楽章 合唱「歓喜の歌」の歌詞の意味

元々は、ドイツを代表する作家の一人である、
フリードリヒ・フォン・シラーによって書かれた
「歓喜に寄す」という詩を元に、引用しています。

この詩「歓喜に寄す」の半分弱を引用して、
順序を入れ替えて編集し、合唱「歓喜の歌」に用いました。

ベートーベンが書き足したのは、

O Freunde, nicht diese Töne!(おお友よ、このような調べではない!)
Sondern lesst uns angenenehmere Anstimmen,(もっと快い歌を歌おう)
und freudenvollere.(もっと歓喜に満ちた歌を)

という、冒頭部分だけなんです。


合唱「歓喜の歌」の日本語訳

では、その「歓喜の歌」、
ドイツ語の歌詞の意味を、「日本語訳」で見てみましょう♪

おお友よ、この調べではない!
これでなく、もっと快い、
喜びに満ちた調べに共に声をあわせよう。

歓喜よ、美しい(神々の)火花よ、
天上の楽園の乙女よ!
私たちは情熱の中に酔いしれて、
崇高なあなたの聖所に足を踏み入れる、何と神々しい!
この世の習わしが厳しく分け隔てたものを、
あなたの聖なる偉力が再び結び合わせる…(そして)
あなたの穏やかにたゆたう翼のもと、
すべての人々は兄弟となる。

ひとりの友の友となり、
ひとりの気高い女性を得られるなど、
大いなる幸福に恵まれた人は、
歓喜の声をあわせよう!
そう、この地上でただ一つの人の心でも
自分に大切なものと信じ得る人も!
だが、それが出来なかった人は 涙ながらに
ひそかに この集いより離れるがいい!

この世のあらゆるものは歓喜を
自然の乳房より飲む…(そして)
善人も悪人もすべての人が
薔薇色の小径を辿る。
自然は私たちにくちづけとぶどうと、
死をも分かち得る一人の友をもたらし
虫けらには快楽が与えられ…(そして)
天使ケルビムは嬉々として神の御前に立つ。

喜べ喜べ 自らが陽光に満ちた大空を駆けるように、
天空の壮麗な広野を飛び交い、
走れ兄弟よ、君たちの道を、
晴々と勝利に進む勇者のように。

抱き合うがいい、数百万の人々よ!
このくちづけを全世界に!
兄弟よ! 星々くらめく世界に
いとしい父が必ずいらっしゃるはず。
あなたがたはひざまずいているか、数百万の人々よ?
創造主の存在を予感するか、世界よ?
星々のかなたにその人をたずねよ!
星々のきらめく天蓋のうえに必ずやその人はいらっしゃる。

出典:「第九」の歌詞(独語・邦訳)http://we-love-classic.com/chorus/




ベートーベンが第九に込めたのは、
シラーの詩に込められた、「友人や愛する人のいる人生の素晴らしさ」だったのです!



元々のシラーの詩「歓喜に喜す」は、複合的な含意を持っています。

そして、ベートーベンも、
そのシラーの詩を、自分流に組み替えて利用しているので、
第九の歌詞の意味は、一本調子に解釈できるものではありません。

また、
音楽の内容に、懐古的な要素が含まれることなどからも、
直線的で単純な賛歌ではなく、両義的な意味合いを持つことも指摘されています。


「ベートーヴェン」という表記もありますが、
 この記事では、『ベートーベン』のカタカナ表記に統一しています。

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